石川県金沢市にある金沢港は日本海の中心という立地に恵まれた活気あるビジネス港です

金沢港 ビジネス情報サイト

アクセスコンテナ航路在来船航路サイトマップお問い合わせHOME

金沢港の歴史紹介

金沢港の歴史や沿革についてご紹介します。

金沢港は、日本海沿岸の中央部に位置し、金沢市街を貫流して日本海にそそぐ大野川、犀川両河口を包含し、日本海に面する港湾です。
昭和29年7月10日、旧大野港、旧金石港を合併し金沢港となり、各々を大野地区、金石地区として成り立っています。
 

minato_photo.jpg


古代から江戸時代の金沢港

大野川河口の大野地区は古くから栄えた港泊地で、遠く奈良時代から大陸との往来があり渤海国(698~926)の船もしばしば来航していたことが明らかとなりました。

江戸時代には加賀百万石の権威を背景に、北前船がこの地を本拠として活躍し、いわゆる御手船、廻米船の名で江戸、大阪に往来していました。このころ商傑銭屋五兵衛が、宮の腰(金石地区)を根拠地として、広く海外と交易し、関西、東北、北海道の諸港との間に米、雑貨の移出、木材、海産物の移入を主とした海運が活発に行われ商船も入港して繁栄を極めました。
しかしながら、北前航路の衰退とともに、本港の港勢は衰えはじめ、往事の面影は,一時なくなり、近くは満州事変から第2次世界大戦へと激動する内外情勢の試練を受けて大野や、金石の港は消長の年月を経てきました。 

金沢港が掘込港湾として、その開発が時代の要請として打ち出されたのは、昭和6年頃からです。


昭和時代の金沢港

本港は北陸地方の政治・経済の中心都市である金沢市及び産業都市小松市をその勢力圏に有し、背後圏の経済、産業活動は極めて活発でありますが、過去には利用すべき港湾がなく、本港勢力圏内の産業は隣接する伏木富山港、七尾港より二次輸送によって行われていました。
また、当地方において重要な問題である冬期積雪による、陸上輸送路途絶に際しての物資の海路補給、なかでも燃料確保等の諸要請に応えるため、昭和39年4月に重要港湾の指定を受け、大野川右岸に堀込港湾の建設に着手しました。

その後、昭和45年11月関税法による開港に指定され、また、植物防疫法による輸入木材の指定港となって以来、開港当時91万トンであった貨物量も、年々増加し、平成18年次では393万トンに達しております。


平成時代の金沢港

御供田コンテナターミナル

昭和63年10月からセミコンテナ船を使用して、週1便体制でスタートした日韓定期コンテナ船も、現在、韓国航路週3便・中国韓国航路週2便・韓国・中国航路週1便体制となっています。
また、建機を運ぶRORO船が、平成12年4月より初入港し、月1便体制で北米に向け運航され、平成15年7月から期間限定ではありますが苫小牧港との間で初の国内定期航路も運航し、地域産業を支える港湾として役割が高まっています。


 

Page TOP

金沢港利用促進会議

〒920-8203 石川県金沢市鞍月2-3

Copyright(c)2009 金沢港利用促進会議. All Rights Reserved.